1949年8月22日。
私は66前、三島の地で産声をあげました。
小学3年生の時、熱ばかりだしていて病名が分からず苦労していた両親の悲しい顔はいつまでも記憶に残っています。
三島市中の病院を転々とし、最後に当時国立病院で見つけてくれたその病名は
「リューマチ熱」でした。痛くて痛くて痛くて悲しかった!でもそのお陰で今では痛みには
強い身体になりました。
当時の主治医が両親に伝えていたこと…
「この子は20歳まで元氣にいたら上等です!大事に育ててください!」
だったのです。
しかし、両親は隠し通してくれました。
結婚して子ども二人を産んだあと、今日はなぜ父がゆっくりして帰らないんだろう?と
思った時突然話だしたのです。
「ごめんな、今まで黙っていたけど、実は・・・」と苦しそうに話しだしました。
お互い泣きました。全ての過去の父の嫌いなところはこの日から消えました。
父が大好きになりました。
20歳までしか生きないと言われた限りあった命をこうして66歳まで生きることができたのです。
60歳の時、自分なりの葬儀も済ませました。
もうなにも惜しむことがありません。
怖いものもありません。(これって強がり?すぎ 願望です!)
残された時間をせっかくなので、私を理解下さる方と共に成長させていこうと
決意しています。
昨日も最倖のプレゼントが届きました。
カナダから。
なんと「京セラ株式会社」の創業者としても著名な稲盛和夫さんが私の書いた「盛和塾」と言う書が採用になったと報告がありました。
ついてるなあ!
これから70歳まで突っ走ります!
明日、私の誕生日ですが昨年も沢山のメッセージをいただきました。
FBではコメントいただいても流れてしまい、どなたが下さったのか分からなくなります。せっかくなので、来年まで楽しむ方法がないだろうか?と
考えていたとき、
FBを教えていただいている吉村和彦先生が8月10日のご自身の
誕生日の時、私の求めていた方法で投稿してくれました。
ご了解を得て真似させていただきます。
先生から素敵な誕生プレゼントが届きました。この写真です。
ありがたく使わせていただきます。
サー、また一歩前に進んでいきます。
みんなありがとうございます。
コメント