>浜田えみなさんのプログはこちら
>こちらのブログはPDFでもダウンロードいただけます。
7月大阪教室 ~社中展に出展するということ~
7月大阪教室 ~社中展に出展するということ~
なぜ、一年目でも社中展に出展できるのか。
それは、書道というものが、とてもパーソナルなものだからだと思う。
出来上がった作品を競い、比べあうのではなく、出来上がるまでの過程や、出来上がってからの心の有りように、魂が磨かれていく。
作品への取り組みを通して動く感情は、初心者とか、師範とか、子どもとか、大人とか、作品の技巧とか、完成度などに関わりはなく、社中展に挑む者に訪れるパーソナルな体験。贈り物だ。
体験しなければ、もったいない。受け取りにいかなければ、もったいない。そう思う。
◆あきらめない
今年の社中展のお稽古では、信条を持ち、実践することの無敵さを教えていただいた。
房仙先生が証明してくれたのは、「あきらめないこと」
平成30年5月26日に、山形県米沢での書道教室が開校した。
二日間の充実したお稽古のあと、28日の朝、房仙先生は左足を痛めてしまった。痛みをおして三島まで帰宅し、午後三時からの教室で子供たちの指導をしたあと、骨折していることがわかり、全治一か月と診断された。
ところが、社中展を控えた房仙先生と光孝先生には、米沢のあと、米子、大阪、箱根での錬成会合宿、三島、そして再び米沢、東京…… とエンドレスにお稽古が続いている。
しかも、社中展に向けて、ふだんの二倍以上のお稽古時間が組まれていた。
加えて、生徒の作品の多くは、机ではなく、床で書く大作なのだ。
でも、長時間の歩行が困難で、移動には松葉づえか車いすを使う状況となった房仙先生の頭の中には、続くお稽古や合宿をキャンセルしたり、時間を短縮したり、振替をする…… などの発想は、1ミリも生まれなかった。
ギプスをはめて松葉づえをつく先生の姿を見ている生徒には固く口止めをし、これからお稽古を受ける教室の生徒には誰一人知らせないまま、米子へ向かった。
何も知らず、先生を迎えに行った米子教室の生徒が、車いすの姿を見て、声を失い、どれほど驚いたことか。
その夜、フェイスブックでシェアされた、満面の笑顔で手を振る車いすの房仙先生の姿。その後ろは〈米子駅〉
車いす?
怪我?
病気?
そんな身体で、三島から米子へ?
その笑顔が明るければ明るいほど、胸がつぶれそうな思いが湧き起り、画像を見た生徒全員が、先生の名前を叫んだのではないだろうか。
房仙先生――――っ
いてもたってもいられない。
ところが、続いて投稿されていたのは、ふだんと変わらないお稽古の様子……、いや、キャスター付きの椅子に乗って、会場を移動する先生と生徒たちの和気あいあいとした動画や、ふだんにも増して、社中展に向けて、教室が一丸となって充実している様子が、ユーモラスな文章で書かれていて、そのおかげで、心配でこわばっていた気持ちが、ずいぶんほどけていった。
だが、米子への道は、もちろん、いつもどおりのはずがなく、通常であれば何の問題もないはずの、新幹線と在来線の特急を乗り継ぎが、骨折した不自由な足では遠すぎる。
駅には、構内で使用できる車いすの貸し出しサービスがあるのだが、思いもよらない理不尽な規則が立ちはだかって、利用できない。
徒歩では、とうてい間に合わない。
房仙先生は、それをどんなふうに切り抜けたのか。
「あきらめない」と題して、後日、房仙先生はブログに詳細を投稿してくださった。(末尾でリンクを掲載します)
ピンチをチャンスに変えることができるなら、起こることはチャンスだらけだ。
やりたいことをゴールにすれば、そのための手段は後からついてくる。
房仙先生は、6月のお稽古で、「こんな状態でも、エネルギーが満ちるんだよ!」と、とびきりの笑顔でおっしゃっていた。
◆がんばらない
7月のお稽古は、お叱りのことばで始まった。
6月のお稽古のあと、社中展作品の添削を出していない生徒が何人もいたからだ。
出せない理由には、
練習ができていない
うまく書けない
見ていただける域に達していない
などがあると思う。
書いても書いてもダメで、書けば書くほど出せなくなってしまう。
でも、そんなときこそ、出さなければならないのだそうだ。
社中展のお手本は、最初にいただいた1枚で終わることがほとんどなく、多くの生徒が、2枚目のお手本を手にする。
最初のお手本から、生徒の習熟度にあわせて、生徒の良さが活きるバージョンに進化していく。
難しすぎるお手本が易しくなったり、その逆もある。
100人以上いる生徒ひとりひとりについて、書いた文字から、一瞬でそれらを見ぬくのだ。
練習している中で、隠れていた想いが出てくることがあると、その想いをくんでくださる。
使用する筆が変わり、紙の大きさが変わる。題材そのものが変わる場合がある。
お手本の変更は、早ければ早いほどいい。
先生のエネルギーに、生徒は、もっと必死でついていかなければならない。
変わることに貪欲にならなければならない。
「みんな、がんばりますと言うけど、がんばりますと言ったら、がんばらなければいけないのよ。がんばるというのは、〈自分が今やっているより、少し書く〉ということなんだよ。それができないってどういうこと?」
今までどおりのことしかしていないなら、がんばっていることにはならない。
そんなあたりまえのことを、骨折した身体で何百キロも移動して、ご指導をしてくださる先生に言わせてしまった、ふがいなさ。
そもそも、房仙先生は、私たちにがんばりなさいとは、おっしゃっていないのだ。
〈がんばらない〉
〈あきらめない〉
そう繰り返してくださる。
それなのに、「がんばります」と言ってしまう。
そして、がんばれない。
それでは、変われない。
〈がんばらない〉
〈あきらめない〉
◆笑顔
7月のお稽古での房仙先生のお話で印象に残ったのは、〈書道教室は笑顔がないとダメ〉という言葉だった。
「書道は自分との挑戦。自分に向き合うこと。書道は下を向かないと書けない。書道をやってるとね、下ばかり向いているの。でも、下を向いて笑うことはできない。上を見ないと笑えない。みんなに上を見て、笑ってもらうために、声をかけて、こちらに注目してもらってるんだよ。だから、声をかけたら、何をしていても、必ず顔をあげる。笑顔になる。書道教室は笑顔がないとダメ」
衝撃だった。書いているときに笑うことができないのは、当然だ。だから、笑顔がなくてもよいのではなく、だからこそ、笑顔になる時間が必要。それが房仙流書道だ。
あらためて思い返すと、家で書道の練習をしているとき、私には笑顔がなかった。
自分の字は好きになれないし、いくら書いても満足できたことがない。
笑顔がないと、元気が出ない。
下ばかり向いて書いていると、疲れてしまう。
〈上を向いて、笑顔!〉
◆恥
毎年、房仙会に入会する人がいて、初めての社中展を経験する。房仙会では、生徒全員が出展するので、中には、入会した月が、いきなり社中展作品のお稽古となる人もいる。
好きな文字を書いていいと言われ、見たこともない書体の、かっこいいお手本を先生からいただき、大きな筆を使って書けることに、嬉しさを隠せない人もいるし、とまどいや不安のほうが大きく、一年目から出展しなくてもかまわないと感じる人もいるそうだ。
房仙先生は、こんなふうにおっしゃっていた。
〈1年目の生徒に恥をかかせるのではなく、私の中の自分の体験に基づいて、私のような不幸な人がいないように〉
〈1年目に書くのは、自分の実力を知るため。何年か経つと、1年目の作品が愛おしくなるのよ〉
私は、昨年の4月に入会したのだが、その当時、出さなくてもいいと感じていたタイプだった。
書道に限らず、ハレの場が苦手で、お祭りやイベントより、何事もない平坦な日常が続いているほうが安心だったし、自分を魅せることに時間やお金をかけることに抵抗があったから、展覧会に出展することは、嬉しさよりも、とまどいのほうが大きかった。
でも、房仙先生のお言葉を聴いて、私の本音は、〈恥をかきたくない〉という点にあったのかもしれないと思った。
〈自分の実力を知り、今の自分を認める〉ことにも、向き合いたくなかったのかも。
そうだったのかもしれないなあ。
◆なぜ、一年目でも社中展に出展できるのか
二年目の社中展へのお稽古を経て、私が感じていること。
それは、書道というものが、とてもパーソナルなものだということだ。
出来上がった作品を競い、比べあうのではなく、出来上がるまでの過程や、出来上がってからの心の有りように、魂が磨かれていく。
作品への取り組みを通して動く感情は、初心者とか、師範とか、子どもとか、大人とか、作品の技巧とか、完成度などに関わりはなく、社中展に挑む者に訪れるパーソナルな体験。贈り物だ。
体験しなければ、もったいない。受け取りにいかなければ、もったいない。そう思う。
社中展はスペシャルだからだ。
お手本がちがう。紙がちがう。筆がちがう。墨がちがう。お稽古がちがう。練習にかける時間がちがう。パッションがちがう。到達する場所がちがう。
好きなものが書ける。
好きってすごい。
好きだから見える。好きだから聴こえる。好きだから感じる。
ふだんの何倍も何十倍も、感覚がひらく。ひらめく。入ってくる。
そんなことを実感した二か月だった。
房仙先生の「ひらがな」が好きだ。
房仙先生の「ひらがな」を見ていると、ひとつひとつの文字が、いっせいに語りかけてくるように感じる。
その声に心を澄ませ、無数の音に、打たれる。
だから、社中展の作品は、ひらがなが書きたいと先生にお願いした。漢字とひらがなが混じった「調和体」で、「七つの子」の歌詞を書いてくださることになった。
烏なぜなくの からすは山に 可愛い七つの 子があるからよ
なぜ、「七つの子」だったのか。
からすは、古代では吉兆をあらわず鳥であったと、先生は教えてくださった。
お手本の字を決めるとき、自宅療養をしていた母の容体が悪くなり、緊急入院したことや、昨年の夏から、両親の介護のために、夫や子供たちと離れて生活が続いていた状況から、善きことの兆しである「からす」と、「母親の深い愛」を歌った歌詞に、母と私、私と子供たちの二つの母子関係を重ねて、お手本を書いてくださった。
社中展の作品は、二カ月かけて仕上げていくので、多くの場合、六月のお稽古の前に、先生から自宅にお手本が郵送されてくる。
居ずまいを正し、封筒に折りたたまれたお手本を、押し戴くようにして、ゆっくりとひもといていくときの、静粛な気持ち。
初めてお手本の全貌を前にして、湧きおこる衝動。
何が視えたか。どこが震えたか。何を感じたか。
喚起された最初の気持ちを、失ってはならないと思う。作品を練習し、仕上げていくにあたって、ブレずに戻ってくる場所として。
私の場合は、送られてきたお手本をひらくと、したためられた筆文字が、次々に羽ばたくのを感じた。広がっているのは、いちめんの夕映えだった。
そんな字が、私に書けるだろうか。
六月のお稽古で、先生が書いてくださる様子を動画に撮らせていただいた。
緩急はリズム。墨の濃淡は音の強弱。
筆の動きを見ていると、音符が躍り出てきて、書が持つ調べが響いてきた。驚いた。
お手本は楽曲だ。
私に弾けるだろうか。
一枚のお手本が持つ、たくさんの情報。見るだけでは、とうてい解析できない秘密が、指導を受けることで明かされていく。
動画を見ることは、その調べを楽譜におこす作業のようだと思った。
何度も動画を再生し、お手本を見て、その間と呼吸を、モールス信号のように記憶する。
昨年の四月から、毎月、教えていただいているのに、そんなことを感じ、実践しようとしたのは初めてだった。
規定の漢字の練習では気づかなかったいろいろなことを、ひらがなは、私に伝えてくれる。
好きってすごい。
好きだから見える。好きだから聴こえる。好きだから感じる。
ふだんの何倍も何十倍も、感覚がひらく。ひらめく。入ってくる。
人間でも同じだ。好きな人のことは、夢中になる。
だから、社中展作品のチャレンジは、スペシャルなのだ。
五月のお稽古のとき、房仙先生が、
「幼稚園生が、大学生の字を書いていいんだよ」とおっしゃった言葉が、記憶に残っている。
書いたことのない字体、見たこともないかっこいい字、好きな詞、身の程知らずの高嶺の花に、熱く恋していい。
房仙先生が、最高のマッチングをしてくださる。
生徒の持つ技量で、最大限、見栄えのする字に。
どうしても書けない字は書ける字体に。
一つの文字には、いくつもの書体があり、その組み合わせは計り知れない。
時間をかけて字源をあたり、きちんと調べて、間違いのない、正しい字でお手本を書いてくださる。
必要なものが、ビンゴで届く。
はじめたばかりの生徒にも。二年目の生徒にも。上級者にも。師範にも。
社中展作品を通して体験することは、パーソナルな贈り物だ。
◆巨匠の演奏をナマで聴く
六月のお稽古のニコマ目。何回目かで私のところにまわってこられた先生は、書いていた字を見ると、「いい紙を出して」とおっしゃった。
急いで用意をすると、向かいあわせの場所で書いていらした房仙流師範の翠仙先生に「代わりに動画を撮ってあげて」と声をかけてくださったので、私は、先生の揮毫を見ることに集中できた。ファインダーを通さず、ナマで見ると、受けとるレベルが格段にちがう。
感じることに集中させてくださる先生の配慮と、生徒の学びのために、快く撮影を引き受けてくれた翠仙先生に感謝。
「墨をもっと薄くする」とおっしゃって、私がそれまでの入れたことのないほどの量が、硯の「海」という場所に注がれていく。
墨の色で、まったく印象が変わる。
最初の点が置かれるまでの、長すぎるほどの間。
房仙先生の意識に同化することは、とてもできないけれど、先生のからだから放たれる気配に、息が苦しいくらい、緊張する。
動き始めた筆の、予想もつかない動き。緩と急。
漢字とひらがなの持つかたちと線の表情。せつなさ。くるおしさ。烏のおかあさんの一心な想い。
ひらがなだった字が漢字になり、漢字だった字がひらかれると、まったく印象が変わる。
別の世界の扉が開くのを感じる。それがわかるのは、元のお手本で練習をしていた私だけだ。
「なく」が「鳴く」になり、「山に」が「やまに」になった。
予想とちがう筆の流れに意表を突かれ、その変化がもたらす世界観に揺さぶられる中、どんどん情景が進んでいく。
運ばれていく。連れていかれる。
紙と筆と先生が創る磁場のようなものに吸引され、動けなくて、それ以上なにも受け止められないくらい、パンパンなのに、まだそそがれる。
烏なぜ鳴くの からすはやまに 可愛い七つの 子があるからよ
先生が書き終わったとき、あまりのことに声が出せず、少したってから、固まっていた身体を脱力すると同時に、感嘆の声が出た。
いま、起こっていたことは、なんなのだろう? と思った。
ひとりだったら、よくわからないままだったかもしれない。体験したことの価値に、気づくことができなかったかもしれない。
でも、翠仙先生がそばにいた。
翠仙先生は感動で涙ぐんでいらした。
私よりも、ずっと深いレベルで受け止めていらしたからだと思う。そのことにも感動した。
翠仙先生が、「すごかったね」と言ってくださり、「これを表現していくんだよ」と、励ましてくださった。
ものすごいお手本をいただいたことがわかった。
◆揮毫は、演奏だ
房仙先生にお手本を揮毫していただけることは、ベートーベンの楽曲を、ベートーベン本人が演奏するのをナマで聴くようなものだと思う。
譜面には表しきれない情緒が、演奏には、切々と盛り込まれている。
たった一度しかない揮毫。
それを間近で見せていただける贅沢。
紙のお手本をいただいただけでは、絶対に再現できないもの。
手をとって、筆の流れを教えていただいても、世界観を想像することができない。
お手本を揮毫するときのエネルギーは、房仙先生本人にも、二度と創りだせないという。
その境地を、かぶりつきで感じさせていただけた貴重なご指導。
あのすごい世界を封じ込めた二十六文字が、今年、私がいただいたお手本だ。
◆拍手
社中展のお稽古での楽しみは、さまざまな書体や作風の作品が堪能できることだ。
ある程度お稽古が進んでくると、書いたものの中から、いちばんよいものを選ぶ作業が始まる。
前に出て、2~3枚ずつ掲げ持ち、その中で一番よいものだけを残し、よくないものを捨てていく。最後に残ったものが候補作または出展作となる。
作品がどんどんよくなっていることが目に見えてわかる。朝から同じ教室で書いていて、それをリアルタイムに目で感じる。
ご指導と書き込みによって、同じ人が書いたと思えないくらい、作品が変わる様子を、その場で体感できる。
お稽古会場の熱気は、冷房がまったく効かないと感じるほどだった。
「波動は影響しあうのよ」と、先生がおっしゃる。
「隣にいる人のエネルギーがうつってくる」のだそうだ。
全員が本気だ。出したことのない能力が、どんどん引き出されている。
それが相乗しあい、書いたことのない線が生まれ、奇跡の一枚になる。
奇跡の一枚を、何枚も、何枚も、見せていただける幸福。
達成と笑顔と作品に、思い切り拍手ができる幸福。
本当にすごい。本当にうれしい。
本気が引き出され、素晴らしい笑顔があふれる場に立ち会える幸福。
拍手。拍手。拍手。
その場にいなければ、もったいない。
◆ありえない!
お稽古の最終日、何があっても作品を仕上げなければいけない日、お手本とお手本のコピー一式を、家にまるごと忘れてしまった。
入っていたのは、紙と筆だけ。
(えーーーーーーーーーっ)
信じられない。
目の前の事実が、受け止められなかった。
何度探しても、見当たらず、夜、家で書いてきた数枚が折りたたまれているだけ。
お手本がない。コピーもない。
まさか。こんなことが。
本来なら、お手本を見なくても書けるようになっていなければならない時期だが、書き込み不足の私には、ぜったいに無理。
書けない……。
何も、できない……。
信じられない。
「先生、帰って家で書きます……」
「昨日、書いた?」
「はい……」
「持ってきた?」
「はい」
「大丈夫、その中にある! もう、できてる!」
***
お手本一式を忘れてお稽古に来たことに気がつき、帰って家で書くと言った私の顏を見たとき、房仙先生は、〈このまま帰しても、清書を書ける精神状態ではない〉と判断されたのだと思う。
とにかく、べた褒めに褒めてくださり、最初に見せた三枚の中から、「いいのがあった! すごい、百点!」というお言葉が飛び出し、すでに百点が出ているのに、次の二枚から、さらにいい作品が出たりして(百点より上って!?)、その作品が出展作品となった。みんなの拍手喝采の中で。
出展できるレベルの作品を書きあげたつもりはなかったので、「できてる!」わけは、なかったと思う。
でも、できていることにしてくださった。先生ができてる!といえば、できている。
教室で、みんなの前で、すごいと褒めてくださり、拍手を浴びる体験をさせてくださった。
お手本を忘れてお稽古に来て、失意の気持ちで教室を後にして、そんなみじめな気持ちで、清書が書けるだろうか?
書けない、無理だと判断されたから、前日に書いたものの中に、出展作品があるとおっしゃられ、最高の花道を用意してくださったのだと思う。
作品にはピークがあり、上り調子でよくなっていても、頂点を超えたら、あとは何枚書いても落ちていくだけだから、ピークの見極めが大事だと、先生は、いつもおっしゃっている。
「もっとうまく書けるはず! もっとよくなるはず!」
そんな気持ちで、がむしゃらに書いても、書けば書くほど悪くなっていくことがあるそうだ。
社中展作品の締切までには、まだ時間があるので、書こうと思った。書きたい。
でも、この「書きたい!」は、欲心であり、これをコントロールすることが、学びなのだと感じた。
だから、もう、社中展作品の清書は書かないと決めた。
房仙先生が、あんなにほめてくださったのだから。
みんなが、あんなに拍手してくれたのだから。
ところが。
もう書けないと思うと、猛烈にさびしくなってきた。
房仙先生のお手本とお別れしたくない。お別れできない。
まだ書きたりない。心の準備ができていない。
社中展の作品のためではなく、ただ、書きたい! という気持ちが、湧いて湧いて、どうしようもなかった。
書こう! と思った。
「七つの子」は、紙に顔彩で下絵をつけ、その上に詞を書いている。
紙が大きく、顔彩が乾くのに時間がかかるので、大量生産できないが、前日に準備した六枚が、まだ残っていた。
その六枚で、お別れをしようと決めた。
六枚だけ、書く。
家に戻ると、机の上に、お手本一式がクリアファイルに入れたまま、燦然と輝いていた。
どうして忘れたのだろう?
もしも、忘れずに持っていっていたとしたら……。
時間の限り、「七つの子」を書いただろう。
下絵のついた六枚にも、すべて書いただろう。
その中から、出展作品が、たぶん選ばれているだろう。
それでも、期限の限り、「七つの子」を書いただろう。
社中展作品を完成するために。
何度も繰り返し使っているので、よれよれになってしまったお手本。
墨を溶き、紙を広げ、文鎮を置く。
ただ、感謝の気持ちが湧いてきた。
社中展作品を仕上げるという目的ではなく、今、こうして筆を持てることに。
社中展作品を仕上げるという目的ではなく、お手本を感じられることに。
墨を四倍よりも、もっと薄めて書いてくださった、やわらかな色合いの筆文字は、筆の勢いや、ぶつかる強さ、重なりが一目瞭然で、たいへんわかりやすかった。
声が聴こえるようなお手本。
そのお手本を忘れるなどという、ありえない失態は、必然だったのだろう。
出展作品を提出したあとだから、このような真摯な気持ちになれる。
先生が褒めてくださり、教室のみんなが拍手してくださり、自分のピークを受け入れることができた。
感謝の気持ちがあふれる。
作品のために書くのではない。
離れたくない。そばにいたい。感じていたい。ひとつになりたい。響きあいたい。
そんな思いで、筆をとる。
一枚は、房仙先生への感謝。
一枚は、房仙会の仲間たちへの感謝と。
一枚は、子供たちと。
一枚は、母と。
一枚は、万感の想いと。
最後の一枚はすべてに感謝。
このような気持ちで書道と向き合うことができるなんて、想いもしなかった。初めての体験だった。
上手に書こうとか、技術とか、そんなものはぶっとんで、心の中が「素」になって、満たされて、包まれて、守られて、書くことで繋がり続けていられる実感。
それは祈りにも似ていた。
こんな経験ができるなんて。
六枚書き終えて、〈もしかして、すごいの書いてない?〉と思って、あらためて作品を見たが、気持ちよく書きすぎた結果、せっかく直っていたくせが随所に出ているし、なんで、こんなところでこんなことをしてしまったのかなーーーっ! と自分でつっこみたくなるような、おかしな線が目立ち、作品の出来とは別だと納得できた。
いいのだ。
作品ではなく、体験がギフトだったのだから。
***
私事ながら、6月上旬のお稽古が終わってほどなく、入院していた母の容体が急変し、6月21日に急逝した。23日に通夜、24日に告別の儀を執り行った。
書道の練習ができるような心の状態ではないようなときでも、筆を持つことができたのは、先生が選んでくださった題材が「七つの子」であったからだと思う。
初めて、受け取ったお手本をひらいたときに浮かんできた、夕焼けの空の情景。子どもの待つ山の巣をめざして、一心にはばたく烏のシルエット。
揮毫をしてくださったときに響いてきた演奏。
房仙先生が表現してくださった書の世界。
それを、奏でる。
烏なぜなくの からすは山に 可愛い七つの 子があるからよ
先生は、私が体験した六枚の祈りは、母への供養だと言ってくださった。
社中展への参加が、私にくれた贈り物だ。
同様のことが、参加した生徒全員に起きているのだとわかった。
書道展会場に並ぶ一枚一枚に、物語がある。
そのすべてに手をさしのべている房仙先生。
心をすませて、その調べを感じようと思う。
なぜ、一年目でも社中展に出展できるのか。
それは、書道というものが、とてもパーソナルなものだからだと思う。
出来上がった作品を競い、比べあうのではなく、出来上がるまでの過程や、出来上がってからの心の有りように、魂が磨かれていく。
作品への取り組みを通して動く感情は、初心者とか、師範とか、子どもとか、大人とか、作品の技巧とか、完成度などに関わりはなく、社中展に挑む者に訪れるパーソナルな体験。贈り物だ。
体験しなければ、もったいない。受け取りにいかなければ、もったいない。そう思う。
***
提出済の一枚と合わせて、先生が作品を選びなおしてくださることになり、奇しくも、最後に書いた一枚が、出展作品となった。
浜田えみな
第19回 房仙会書道展
日程:平成30年8月11(土)、12(日)
会場:三島市民生涯学習センター 3階
(三島市立図書館と同じ建物です。)
所在地:〒411-0035 静岡県三島市大宮町1−8−38
アクセス:JR「三島駅」南口 徒歩7分
在来線、新幹線共に南口をご利用ください。
伊豆箱根鉄道「三島駅」 徒歩7分
アクセス案内:https://goo.gl/maps/9kWwJqkadKv
時間:10:00~16:00
入場料:無料
三島市を始め県内ほか、大阪、兵庫、京都、鳥取、岡山、東京、神奈川、山形等の県外の生徒も多数出展しています。
物語に、心をすませてみてください。
コメント