今日は小下田(中伊豆)に行って来ました。
法事で弟と出かけました。
私の祖父と、今日の四十九日法事の叔母とは義理ですが
兄弟です。(私の祖父が、今日の主役の叔母の夫と兄弟です。)
写真はおじです。
私の祖父とうりふたつでした。
叔父は昭和58年7月3日に亡くなりました。
最福寺住職でした。
叔母はあと5日で満100歳という99歳で今年5月21日亡くなりました。
前の日まで元気で苦しまず、天寿を全うしました。
叔父が亡くなってから、叔母は私をとても可愛がってくれました。
血のつながりはなくても、心や血縁は繋がることを
確信させてくれた大事な叔母です。
天に召され、その時から
私にも次々、幸せが訪れています。
ありがたいことです。
私の祖父は三島に養子に出されました。
叔父は、西福寺のお寺の養子になりました。
私の祖父は、養子先で、実子が出来たので
また自分の家に戻ったと言います。
潔い人でした。
武士の子どもは、子孫を同じ所に置かず、
養子に出されたと聞きます。
血縁を大切にしたのでしょう。
二人は、常に私に
「誇りを持って生きる!」
ことを教えてくれました。
養子だろうが、実子だろうが、関係ないと言っていました。
私の父も婿養子でした(*^o^*)
父は、実の父、母より、養子先の父、母が大好きで
尊敬していると、私に語っていました。
血のつながりは、あまり関係ないと!
その考えが、私に染みついているのを感じます。
私のプライドの高さは、祖父の躾のお陰です。
また、二人の口癖は
「子どもで分かる!」
でした。
「自分達は先に死ぬ!だけど、あなたが
絶対、素晴らしい人間になることで
我が家系が守られる!」
当時は、難しい日本語でした。
「子どもで分かるように育てたい!」
と祖父の行っていた意味が、少し理解出来るには、結婚が必要でした。
一生懸命育てていれば、きっと無念のことも、子どもが無念で亡くしてくれる
そんな意味だったと思っています。
子どもは借り物
きちんと育てる!
それが親の勤め
私が二人の子を育てる時の指針になったのは
この教えが影響していました。
私の母は良妻賢母。
大人になっても、母には負ける!といつも思っていました。
その母も7月10日で満89歳になります。
少し、物忘れが始まり、でも、ほっとしています。
なぜって、あまりにきちんとし過ぎるのは、
子どもに取って迷惑です(苦笑)
今は可愛い母になりました。
言い争うこともなくなりました。
叔母の残した遺品の数々です。
100歳の叔母の49日法要

コメント